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ないがしろにされた人々への頌歌——映画『バクラウ』の政治的背景

先日、映画『バクラウ』(クレベール・メンドンサ・フィリオ&ジュリアーノ・ドルネレス監督/ブラジル・フランス)を観た。もう最高の映画ですっかり魅了されてしまったのだけれど、ぜひともパンフレットを読んでその背景や裏話を知りた~い! と意気込んだところ、なんとパンフは作成されていないという…。本気か?

最高の映画であることはまちがいないのだが、いかんせんよく分からないシーンも多い。どうやらブラジルの現況に対する批評的側面が強い作品のようなのだ。監督自身、ローカルな問題を扱ったつもりだったのに、この映画がブラジルのみならず国際的に評価されていることに多少驚いているそうで、「この映画はドルビーデジタルの音声が埋め込まれた35mmフィルムみたいなもので、モノラルの機材でも映画を観ることはできるけど、ドルビーデジタルの機材があれば6トラックの音声が聞ける。ブラジルでは6トラック聞けるんだ」と語っている。しかし、6トラックあるなら6トラック全部聞きたい。それが人情というものじゃろう。

かくしてわたしは何かと忙しい年の瀬に、監督や出演者の英語で公開されているインタビューをインターネッツで漁りまくることとなった。わたしと同じように、映画を観て面食らっている人も多かろうから、インタビューや海外レビュー等で得られた情報をここで共有しておこうと思う。

予告編だよ

過去の映画の参照

シネフィルというのは映画同士の関係性を知りたがるもので、監督は多くのインタビューでどのような映画を参照したのか問われている。まず何よりも指摘されているのが、ジョン・カーペンター監督へのオマージュが作品中にたくさん見られるということだ。冒頭の壮大すぎる地球の眺めは『遊星からの物体X』だし、バクラウの学校には「Prof João Carpinteira」の名前が見える。そしてサントラでは同監督の音楽作品から「Night」(アルバム『Lost Themes』所収)が効果的に使われている。

シーンの切り替えで多用されるワイプやディゾルブといった、今となっては時代遅れに思われる効果も、過去の映画への目くばせだ。映画評論家たちは似た空気感の映画として黒澤明『七人の侍』をよく挙げているが、監督自身からは70年代の西部劇やジャンル映画への言及が多い。アメリカ映画からはカーペンターのほか、マイケル・チミノ、サム・ペキンパー、ジョン・マクティアナンといった名前が、イタリア映画からはセルジオ・レオーネやセルジオ・コルブッチといったマカロニ・ウェスタンの巨匠が挙げられていた。なるほどなるほど、西部劇と、血がドバーッてやつと、人間ドラマやな!(短絡)

もちろんブラジル映画からの影響も大きいとのことで、具体的にはグラウベル・ローシャ、ロベルト・サントス、ネルソン・ペレイラ・ドス・サントスといった名前が挙がっていた。ブラジル映画の歴史を知らないのでなんもわからん…すまんな。ただしローシャ監督については後述する。

しかし、たしかに西部劇をはじめとするジャンル映画への愛好が端々にあらわれるものの、『バクラウ』はそれをただなぞるだけの映画ではない。むしろ、それまでのアメリカのジャンル映画における「お約束」をひっくり返している。たとえば、西部劇では開拓者であるカウボーイが地域の先住民であるインディアンと戦うというお決まりのストーリーが存在するが、『バクラウ』では同様に先住民と開拓者のあいだの戦いを描きながら、侵略するものとされるものの役割を逆にしているのだ。

また、日本語で『バクラウ』をツイッター検索すると、『ミッドサマー』(アリ・アスター監督)と比べている人が多いようだ。「2020年は『ミッドサマー』で始まり『バクラウ』で締めくくられた」と書いている人もいた。たしかに両作品は「よそ者が軽い気持ちで辺境の地に侵入してひどい目に遭う」という点では似ている。だが、作品のメッセージのことを考えれば、どちらかというと「『パラサイト』(ポン・ジュノ監督)で始まり『バクラウ』で締めくくられた」と言いたいところ。なぜなら、どちらも現代社会にはびこる格差の犠牲になっている人々と、彼らの逆襲を描いた作品だからだ。実際、監督も「『バクラウ』は『パラサイト』のいとこのような作品」と発言している。

新たなるキロンボとしてのバクラウ

監督によると、この映画の最初のアイディアを思いついたのは、ある映画祭での出来事がきっかけだったという。そこでは民族ドキュメンタリーがいくつか出品されていたが、そうした地方に生きる人々は「風変わりで、単純な人々」「他者」として表現されていた。作品のあらすじに堂々と「単純な人々 Simple people」と書かれているものさえあった。simple は「バカな」という意味ももつ単語だし、普通にひどい物言いだ。言うまでもなく、最大限に文明化された社会に住んでいないからと言って、彼らが単純/バカであるとはならない。それで、辺境に住む偉大な人々についての映画を撮ろうと相成ったわけだ。

物語の舞台はブラジル北東部にある「バクラウ」(ポルトガル語でヨダカを意味するらしい)という架空の村。ロケ地の選定にはかなり手こずったようで、はじめは監督二人の故郷でもあるペルナンブコ州での撮影を希望していたが、ちょうどいい場所が見つからず、結局もっと北にあるリオ・グランデ・ド・ノルテ州で撮影したそうだ。ペルナンブコで撮影したかったのは、監督たちの故郷だということに加え、そこが史上最大のキロンボであったパルマレスのある土地だからだろう。

「キロンボ」とは、黒人逃亡奴隷が形成した集落のことだ。17世紀に、オランダ、次いでポルトガルの植民地となったブラジルでは、アフリカから黒人奴隷が連れてこられ、厳しい条件で働かされていた。すると、あまりの厳しさに逃亡する者たちが出てくる。逃げた奴隷たちは、ブラジル北東の奥地に「キロンボ」と呼ばれるコミュニティを形成し、助け合って暮らした。ブラジル北東部には、現代でもこうしたキロンボの名残が多くあり、その構成員のほとんどは黒人だ。最大のキロンボとして知られるパルマレスの人口は、一時期3万人にも上ったそうだ。

そんなコミュニティは、抑圧者であるポルトガル人側からすれば当然排除の対象だが、パルマレスは抵抗した。したがって、キロンボは避難所であり、また抵抗の場でもある。バクラウも同じだ。序盤、村がさまざまなバックグラウンドをもつ人々によって構成されていることが説明されるシーンがあるが、そこでは娼婦なども分け隔てなく言及されていた。娼婦のようなマイノリティは、より文明化されているはずの都市では隠されるのに対し、バクラウでは、村で働きその生活に貢献する、コミュニティの立派な一員としてあらわされる。バクラウはそうしたアウトサイダーがほかの人となんら変わらない扱いを受ける場所なのだ。そう考えると、ドミンガス医師は亡くなったカルメリータとの間になにか特別な関係があったようだし、黒いマニキュアとアイラインが特徴的なルンガもクィアな存在だ。バクラウは、マイノリティのための新たなるキロンボとして描かれているのだ。

パルマレスの人々は、侵略者の度重なる襲撃に耐え、ポルトガル人に「不思議な動きで攻撃が避けられてしまう」「オランダ人より強い」と言わしめた。不思議な動きとは? と思うところだが、彼らはカポエイラによって戦っていたのだという。『バクラウ』のなかにも、村人たちがカポエイラを踊るシーンがある。これはもともと監督のアイディアではなくて、俳優たちが自発的に踊りはじめたものを映画に含めたという話だ。ここで流れる音楽は、先ほども言及したカーペンター監督の「Night」。カポエイラを踊る人々の映像が「Night」のインダストリアルな音に侵食されていくさまは、まさしくバクラウが「近代化社会」に襲撃されようとしていることをあらわしている。非常に象徴的なシーンだ。

ブラジル映画におけるセルタンとカンガセイロ

バクラウ歴史博物館に並べられた銃の数々や過去の新聞記事は、これまでに村が直面してきた戦いの軌跡をあらわしている。映画の後半はかなり暴力シーンが目立つが、これは、現代のキロンボ=抵抗の場としての表現であると同時に、村人たちをカンガセイロとしてあらわす手立てとなっているようだ。

「カンガセイロ」は、「盗賊」をあらわすポルトガル語で、19世紀末から20世紀前半にかけて活動したブラジル北東部農村の匪賊を指す。この北東部は「セルタン(奥地)」と呼ばれ、その大地はあまり肥沃ではない。あまり肥沃ではないというか、旱魃や飢饉が起こりやすい乾燥した荒地。農業を営んでもろくに実らないため、ずっと貧しいまま。そんな農村から逃げ出し、盗賊団を結成して村を襲うのがカンガセイロだ。ただし、なかには農村の小作人を搾取する大地主を標的に襲撃・略奪する勇敢なカンガセイロもおり、そうした者は義賊として英雄扱いされたのだとか。

ブラジル映画史において、セルタンは反抗と革命の土地なのだという。『映画芸術』によると、先に名前が挙がったグラウベル・ローシャ監督は、セルタンを舞台にした社会批判と抵抗闘争の物語を撮っている。「ポルトガル人が入植した時代から都市は沿岸部にでき、そこで問題を起こした者は内陸の不毛な大地へ逃げた。セルタンはそうした社会からはみ出したアウトサイダーや抵抗者が、反政府勢力、逃亡奴隷、義賊へと変貌を遂げる危険な土地なのだ」(『映画芸術』ウェブサイトより)。

カンガセイロには名前の残る有名な義賊もいて、彼らを題材にした映画も複数あるようだ。もちろん『バクラウ』も、そうした伝統上にある、カンガセイロ映画のもっとも現代的なものとして捉えることができる。とはいえ、村人たちは抑圧されるだれかのために戦っているわけではなくて、彼ら自身とそのコミュニティを守るために戦うので、義賊というよりは猫を噛む窮鼠のような趣きがあるが…。

だが、『バクラウ』ではそうしたアウトサイダーたちを特別視はしていない。結局、彼らも同じ人なのだ。それなのに、抑圧者から見ればどうも彼らは他者、もっと言えば未知の生物のように見えるらしい。それを象徴しているのがバイク乗りたちが商店に寄るシーン。「このあたりの人はなんと呼ぶの? バクラウ人?」と尋ねた女性に対し、少年は「『人』だよ!」と答える。バクラウの人々は謎のヤバい村人ではなくて、ただないがしろにされ、バクラウに居場所を求めてきた単なる「人」なのだ。

殺人部隊の無理解

そんな集落であるバクラウに足を踏み入れる謎の殺人部隊は、こうした背景がまるで分かっていない。分かっていないし、分かる気もない。

たとえば、斥候隊のバイク乗りたちがバクラウにはじめてやってくるシーン。村人たちが執拗に「博物館を見ていったら?」と勧めるのにもかかわらず、彼らは博物館を見ずに足早に去ってしまう。このとき博物館を少しでも見ていれば自分たちの運命が分かっただろうに、その土地の文化や歴史を知ろうとは考えない。なんと愚かな…。

だが、殺人部隊のあいだにも人種ヒエラルキーがある。襲撃作戦会議のシーンで、村に入る人はつねに監視されていることが話題にあがると、バイク乗りたちは「彼の名前はダミアーノだ」と言うけれど、「名前なんぞどうでもいい」と返されてしまう。要は、ほかの殺人部隊は彼を名前を持つ個人として見ていないのだ。このシーンは、この後ダミアーノの家で起こることを考えるとなかなか痛快だけれど。

また、これは監督自身「映画を観ていてもなかなか気づかない細部」と言っていることだが、ダミアーノの家を襲う二人組のうち女性のほうは、翻訳機を使ってコミュニケーションを試みる。翻訳機で言語を設定するにはまず地域を選択するのだが、彼女はブラジルからポルトガル語を選択するのではなく、ポルトガルからポルトガル語を選択している。ブラジルで話されるポルトガル語とポルトガルで話されるポルトガル語が異なることさえ、彼女は知らないのだ。

殺人部隊はかならずしもアメリカ人のみで構成されているわけではないが(バイク乗りはブラジル人だ)、それでもアメリカがこの部隊の背景にあることはかなり強調されている。正直オバマ元アメリカ大統領の2020年ベスト映像作品リストに『バクラウ』が挙がっていたときはびっくりした。だってこの映画でアメリカめちゃくちゃ批判されてない??

監督インタビューでも、ニューヨーク生まれのインタビュアーに対して監督側から「観てどう思った? アメリカ人として気まずい?」と質問しているものがあった。そこでインタビュアーは、以下のように答えている。

「いえ、気まずくはないです。映画のなかのアメリカの存在や、そのさまざまな描かれ方にはすっかり慣れています。どこかを侵略したり、特別部隊を結成したり、ならず者だったり…。アメリカ人の非合法な集団が外国でヤバいことをやらかすというような描写は、もう普通に思えますね。ただしそれはアメリカ映画の場合で、アメリカ側ではない視点の映画でそういうことが描かれるのはレア。それで違和感があるのかな。もしこれがブラジルに行ってやらかすアメリカ人のチームの話だったら、『せやな、当然うちらはそゆことするよな』ってなりますね」

Oh… 世の中にはびこる不正や不平等、自分たちの過去のあやまちについて真摯な映画が作られる環境はすばらしいけど、それにすっかり慣れちゃうとは、アメリカ人もたいへんやね。

映画を追う現実

この映画の構想が始まったのは2009年のことだそうで、ボルソナロ政権が発足するよりずっと早い。だからといって現政権に対する批判ではない、とまでは言えないが(プロダクションのあいだにだんだん映画の方向性が決まってくることもあるだろうし)、現政権を批判するために制作された映画ではないとは言えそうだ。どちらかというと、地方の人々、周縁に追いやられた人々、いないことにされている人々をないがしろにするすべての権力に対するコメントと捉えたほうがよい。

とはいえ、映画のなかで起こったことが、実際にブラジルでも起こっているようだ。おもしろいことに(おもしろがってはいけないが)、これが映画を作ったあと、現実がフィクションを追うように起こっているのだという。

邦題のサブタイトルにもあるように、物語中でバクラウは「地図から消えてしまう」が、実際にも、2019年、ブラジル政府はある環境保護地域を地図から消去したのだそう。地図から消した=政府にとって存在しないので、その地域はもう守られない。地図から消したからといってその存在が消えるわけではないのに。

また同じく2019年、ブラジル政府は公立大学への資金援助の30%をカットしているが(ヒェ…)、ブラジルの映画鑑賞者たちは、トラックがバクラウの学校の前に大量の本を捨てていくシーンを見て、まるで予言のように感じたようだ。トニーJr.はこれを村人たちへの贈り物のように言っていたが、その本はいったいどこから持ってきたのかってことだよね…。

ボルソナロが大統領になる前から、ブラジルにおける芸術活動はかなり厳しくなっているそうで、政府の意向にそわない映画は撮るのが難しくなり、シネマテークは政府の介入でプロのフィルム管理者がクビになり、代わりに映画のことなんか全然分かっていないような人が投入され、「軍事映画祭をやれ」などと言われているらしい。シネマテークにフィルムを預けるのは危険なので、フィルムメイカーたちは撮った映画を自宅で保管している有様だとか…。政府からの助成を受けて制作されたメンドンサ監督の『Neighboring Sounds』は、助成したぶんの資金を返せと言われているようだ。こないだのあいトリ騒動を思い出してしまう。

キャラクターと配役

ソニア・ブラガ(ドミンガス医師)やウド・キア(マイケル)といった国際的に活躍する俳優たちもすばらしいのだが、やはり『バクラウ』の白眉はルンガとそれを演じたシルヴェロ・ペレイラだろう。ルンガに助けを求めてきたパコッチと顔を合わせるシーンではチンピラ程度にしか見えないが、正装で現れるときには只者じゃないオーラをぎゅんぎゅん出していてちょうかっこいい(語彙力…)。

この物語の鍵となるキャラクターを演じるのが、シルヴェロ・ペレイラなのは偶然ではない。ペレイラは演劇・映画制作に携わるクィアな人々に関心をもっていて、クィア俳優たちによる劇団「As Travestidas」を主宰している人物なのだ。彼自身、ジゼル・アルモドバルという名前でドラァグ・クイーンとしても活動している。カンヌ映画祭ではジゼルとしてレッド・カーペットに現れていた。殺人マシーンのようなルンガを演じたとは思えない、すてきな笑顔がまぶしい!

第72回カンヌ映画祭での『バクラウ』俳優陣たち

バクラウがさまざまなマイノリティの人々にとっての避難所、新たなるキロンボとして描かれていることについてはすでに述べたが、こうした性的マイノリティの現場にいるペレイラがルンガ役に抜擢されていることが、バクラウの物語に厚みを加えている。ちなみにペレイラは、ボルソナロ政権のもとでマイノリティの権利が剥奪されてしまうことを懸念し、「もし必要になれば、わたしたちは今まで勝ち得てきた権利を守るために〈バクライズ〉しなくてはならないかも…」とまで言っていて、ちょっと不穏だがそう言いたくなるのもわかる。

ルンガのキャラクターについては、監督二人とペレイラでかなり細かいところまでいろいろと話し合ったうえで決めているそうで、映画では描かれていないバックストーリーがたくさんあるそうだ。ペレイラも「ルンガの過去を扱った続編が出てほしい!」と語っている。しかし個人的には、そうした背景が直接的には描かれず、ただ示唆されるのみであるというのが、『バクラウ』の鑑賞経験を豊かにしている要素の一つでもあると思うので、難しいところだナァ…もっとルンガを見たいという気持ちはあるけど…。

また、エキストラ的な村人たちのキャストには、ロケ現地周辺の村人たちが多く参加している。監督二人はその地域の人々に参加してもらう際、彼らのあり方・生き方を最大限リスペクトして、なにかを無理やりさせたり言わせたりしないよう、細心の注意を払っていた。そのなかにはコミュニティからのけ者扱いされている性的マイノリティの人々もいて、3か月の撮影後、彼らは「これまでの人生でこんなふうに尊重されたことはなかった」と監督に伝えたのだそう。架空の村であるバクラウが、撮影するうちにほんとうにマイノリティの避難所になっていたのだ。


というわけで、片手間にインターネットで調べた限りではあるが、『バクラウ』について分かったことを書いてみた。完全に解説できたとは思わない。でも、6トラックのうち4トラックぶんくらいになれば幸いである。

個人的な好みだが、南米の映画はめちゃめちゃおもしろいので、どんどん日本配給してほしいし、その背景についてもどんどん語ってほしい。配給会社さん、つぎブラジル映画を配給するときはぜひ専門家の解説やコラムを掲載したパンフを作ってくださいね!

おまけ

日本公開日のメンドンサ監督のツイート
「日本の友人たち、そして友人の友人たち、わたしたちの映画『バクラウ』は今日公開です! ようやく日本のシネフィルたちにお届けできると知ってうれしいです。とくに、ルンガがいつか漫画化されるのか尋ねられた後だとね。どうなるかな? ありがとう!」

だれかルンガの漫画を描いてくれ~~!!!!

参考資料

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