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風刺の同時代性と当事者性——映画『シュシュシュの娘』公開に寄せて

なんじゃこのブログは…半年に1度しか更新されんぞ…。サーバ代払っとるのに…。日々の諸々はツイッターで事足りちゃうので仕方ないね。

去年7月、入江悠監督がクラウドファンディングで新作オリジナル脚本映画を撮影するというので、これ幸いと参加した。なにを隠そう、わたしは入江監督のファンなのだ。『ビジランテ』は最高なので全員観て。よりキャッチーな作品としては『ギャングース』も素晴らしい。ネトフリにもアマプラにもあるよ。

そんなわけでコロナ禍のなか製作されたインディー映画『シュシュシュの娘』は、パンデミックが猛威を振るうなか、撮影、編集、とつつがなく進み、来る8月21日に公開予定だ。一般公開に先立って8月5日に支援者対象の試写会があったので、いそいそと行ってきた。ちなみに8月11日にもプレミアム先行試写会があり、そこでの収益は全額ミニシアターに寄付されるとのことなので、劇場に行くのを勧めにくい時節ではあるが、行ける人はどんどん行こう。

予告編だよ

さて、こまごまと感想を書きたいところなのだけど、ネタバレ厳禁とのことなので、あらすじには極力触れることなく、「わたしが『シュシュシュの娘』を観てどう思ったか」について書いていこうと思う。

気負うことなく観るのが吉

クラウドファンディングで完全自主映画として製作する、メジャー映画ではできないことをする、と当初からアナウンスされていたので、なんかすごい政治批判が展開されるのでは…という予感があった。そして、政治批判をすることが目的となり、映画としての質が犠牲になるのは嫌だな、と思っていた。

蓋を開けてみると、はたして政治批判はあった。あったのだが、政治批判のための映画にはなっておらず、フィクションの愉しみも存分にあった。現在の政府の問題と重なる社会問題がプロットの根幹にあり、それが物語の推進力になっている。社会問題パートがアクチュアルに迫ってくる一方で、ストーリーのほうは非現実的で軽やかにユーモラスに進む。このストーリーまでも重々しいと鑑賞後感が陰鬱になり、世界に救いはない…人類を滅ぼすしか…となってしまう。しかし『シュシュシュの娘』は、劇場内でところどころ笑いが起こるほどにユーモアがたくさん盛り込んである。

現実にもある社会のゆがみ、排外主義、利権問題などなどを薄めることなくスクリーンに再現しながら、エンタメとしての役割も放棄していないので、「政治批判の映画…!」と気負うことなく存分に楽しむつもりで観るのがよいと思う。

同時代人だからこそ理解できる

もうひとつ、まさにいま『シュシュシュの娘』を観るべき理由がある。それは、映画のなかで展開されるさまざまな政治風刺が、説明なしに頭に入ってくる体験ができるということだ。

わたしは16世紀のイタリア美術史が専門なので、昔の絵を見たり、昔の文献を読んだりする。すると、当時の教会を批判する詩とか、当時の知識人ならだれでも知っている古代のイメージを参照した絵とかがバンバン出てくる。そうした史料は、わたしのような21世紀を生きる日本人が見ても、すぐには了解されない。当時の時代背景をほかの文献を調べ、文化的な文脈を押さえてはじめて「これ風刺か~!」となる。

べつに16世紀の例を出すまでもなく、遠い異国の映画を観るとき、その背景まで押さえていないと理解できないことはよくある。たとえばアメリカの政治、あるいはその地域ではよく知られた神話や伝承、そういったことが解説されてはじめて映画の描写全体が腑に落ちる、ということは、映画をよく見る人にはあるあるだと思う。

『シュシュシュの娘』には、こまごまとした政治風刺が要所要所に登場する。こうした風刺を正しく受け止めるのに、わたしたちはなにか特別な解説を受ける必要はない。あまりに毎日のことすぎて、提示された瞬間に理解するからだ。16世紀の人が教会批判の版画を見て理解するスピードを体感できたのは、映画の物語自体には関係ないけれど、感動的なものがあった。これが同時代性というものか。

風刺を当事者として受け止める

また、わたしは以前、『シン・ゴジラ』を大阪・梅田の映画館で観てから、新宿の映画館で再度観たことがある。梅田で観たときにはついぞ感じなかった「ゴジラがここに迫っている」という感じが、新宿では桁違いだった。まちがいなく、映画の舞台=東京で体験しているからだ。同じようなことが『シュシュシュの娘』でも起きる。物語中に現れる、倒すべき悪、正すべき不正は、わたしたちが日々直面しているものなのだ。

これがアメリカのハリウッド映画だったりすると、政府の陰謀、警察の汚職などが、暗躍するヒーローによって成敗される。そういう物語はスッキリするが、そこで倒される悪を身近なものとして感じたことはなかった。アメリカ国民の人はこういう映画を観たときにちゃんと現実の問題として当事者性をもって鑑賞できるのだろう。そういう意味では、わたしはBLM映画もLGBT映画も楽しんで観るけれど、ほんとうに理解はしていないのかもしれないな。

しかし、『シュシュシュの娘』で描写される社会問題や政治風刺は、2021年の日本に生きるわたしたちだからこそ直接的に受け止めることができる。これはつまり、わたしたちのために作られた映画であり、いまこの作品をわたしたちが観ることには意義があるということなのだ。


以上、つらつらと書いてはみたが、とりあえずこれを読んでいる人には「ぜひ観てね!(できれば劇場で)」というメッセージが伝われば幸いだ。公開日までに、映画館に行きやすい環境になっていますように。

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