突然ですがイタリアに来ています。今まであまりカバーできていなかった北イタリアを攻めようということで、実は未踏の地だったミラノを歩き回っているところ。
つい数日前からドゥオーモほど近くのパラッツォ・レアーレで「アントネッロ・ダ・メッシーナ展」をやっているというので、着いて早々観に行った。メインビジュアルになっている《受胎告知の聖母》が来ている(この作品はパレルモにあってなかなか観る機会がないので、これだけで行く価値があろうというもの)というくらいしか事前情報を把握していなかったが、これが素晴らしい展覧会だったのだ。
一言でいうと、これはアントネッロの生涯と作品を紹介する展覧会であるのみならず、アントネッロの作品群を通して、「美術史を研究するとはどういうことか」をまるごと展示する試みだ。
第一級の作品群を展示
どの作品が展示されているのかほとんど知らないまま行ったのだけど、「えっこの作品が?」「この作品も来てるの??」というくらいアントネッロの主要な絵画が網羅されていた。

まず最初に《書斎の聖ヒエロニムス》がドーンと出てくるのでくらくらしてしまう。しかも広い展示室の一室がまるまるこの絵画の展示に費やされているので、ある程度人が集まっていても、あまり混雑した印象がない。少し待てば至近距離で観察できるほどの込み具合で、普段はロンドンにあるこの作品を堪能することができる。私はこの絵の右奥に静かにたたずむライオンが好きなのだけど、今までシルエットだけが描かれているのかと思っていたこのライオン、よく見るとちゃんと顔まで描かれていてなかなかかわいらしい。

アントネッロといえば忘れてはいけない、さまざまな肖像画ももちろん展示されている。ニヤリと不敵な笑みを浮かべる《水夫の肖像》、帽子の下からはみ出るふさふさの髪の毛に今までまったく気づかなかった。こういう発見も実際の作品を観る醍醐味だね。

それにアントネッロの作品のなかでもっとも著名で、今回の展示のメインビジュアルになっている《受胎告知の聖母》。これもまた一部屋に一枚のみの贅沢展示で、至近距離から観察しながら、じっくり大天使ガブリエルの気分に浸ることができる。


ほかにも、ミラノの人々がアントネッロを宮廷画家として呼び寄せようとした記録の残る手紙が史料として出品されていたり、修復や科学調査で判明したさまざまな絵画技術がパネル展示されたりして、アントネッロの画業についてあらゆる方向から理解できるようになっていた。
第二の主役、カヴァルカセッレ
しかし、このアントネッロ展は彼の作品を展示するだけに収まらない魅力がある。それは、アントネッロに関わる美術史の軌跡もが展示されているという点だ。
まず展示室に入ると、アントネッロの画業の紹介とともに、19世紀の美術史家ジョヴァンニ・カヴァルカセッレとは誰かの説明がけっこうなボリュームで展開されるのが目に入るだろう。このカヴァルカセッレこそこの展覧会の第二の主役であり、展示を通してカヴァルカセッレの存在なしには現在のアントネッロの美術史的な評価はないということが露わになるという構成になっている。
冒頭の説明曰く、アントネッロはその死後80年も経つと主要な史料はほぼ失われてしまい、数々の伝説が残るのみとなったという。ヴァザーリが「アントネッロはヤン・ファン・エイクから直接油彩技法を学んだ」なんていう話を広めたもんだから真実はますます分からなくなるし、17世紀になればヴェネツィアの伝記作家リドルフィが、「ジョヴァンニ・ベッリーニが貴族に扮してアントネッロに肖像を依頼し、北方絵画の秘密であった油彩技術を盗み見た」なんていう逸話を作り出す始末。またこの逸話が19世紀に人気の主題となり、アントネッロの真の姿は伝説と逸話にまみれてまったく分からなくなってしまっていた。
そのような状態にあって、このような信用ならない伝記記述でなく、まさしく作品の直接観察によってアントネッロの画家としてのキャリアを再構成して見せたのが、われらがカヴァルカセッレであるというわけだ。
展示室では、アントネッロの代表的な絵画が贅沢に展示されているその横に、その作品に関連するカヴァルカセッレのノートが展示されている。この美術史家はヨーロッパじゅうを歩いてまわり、主要なコレクションを網羅して、さまざまな作品を自分の目で観て、絵の主要な構成を記録するためスケッチをし、その作品の帰属をめぐる思考の軌跡までもこまごまとメモして残しているのだ。

人間、ぼんやり絵を眺めているだけでは、けっこういろいろなものを見落としてしまう。 美術史の授業でも最初にディスクリプションの練習をするように、絵をしっかり見るには訓練が必要なのだ。その点「模写をする」、あるいはそこまでいかずとも、「真似してスケッチをする」というプロセスはその絵に関するさまざまな細部を浮き彫りにするものだ。


カヴァルカセッレの時代、現在ほど簡単に写真を撮ることができなかったという事情もあろうけれども、 彼がどこに注目し、どの部分から「この作品はアントネッロの作である」という結論を下しているのかがよく分かって面白い。私なんかはあまり目利きでないので、この美術史家の観察眼に舌を巻くばかりだ。
美術史のプロセスを展示する
こうしたアントネッロの作品や最近の修復や科学調査によって判明した技術、ミラノの宮廷と関連付けられる15世紀当時の手紙という一次史料、そして19世紀にアントネッロの軌跡を追ったカヴァルカセッレの功績、という幾重にもレイヤーが重ねられたこの展示は、美術史そのものを展示していると言っても過言ではない。
実際、美術史家の仕事とはまさしくこういうことだ。作品を観て、同時代の史料と関連付け、そして歴史上の、あるいは美術史上の位置づけを探る。そうした美術史の比較的地味な営みのなかに、ある作品を特定の作家に帰属するためのスリリングなプロセスを見出し、その面白さ、重要性をまざまざと見せつけるのが今回のアントネッロ展なのだ。
ただ、いかんせんアントネッロの情報+カヴァルカセッレの情報で、ものすごい情報量を提供しているので、気軽にピャッと鑑賞できる展覧会にはなっていない。絵を観る時間より文字を読む時間のほうが多いかもしれない。
しかし、美術史家の仕事、そしてその真髄を見せる気概を感じる展示なので、6月までやっているので、機会があればぜひ訪れてみてほしい。めちゃくちゃアガる展示です!
羨ましいです。見たい!
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