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美術史のミソジニーと折り合いをつける

400年も500年も昔の美術作品を調べていると、ときどき21世紀人から見るとぎょっとするような主題のものがある。

パッと思いつく限りでも、ギリシャ・ローマ神話には「それって女性側からしたらどうなん?」となるような話が満載だし(テセウスに捨てられるアリアドネとか、ゼウスに犯されるエウロパとかレダとか)、キリスト教主題だって自分らの父親を誘惑する娘たちってどうなのってなるし(ロトと娘たち)、世俗主題でも純潔を汚された乙女が自殺するのが美談になってるし(ルクレティア)。それが絵やら彫刻やらであらわされて、当時の文献で「まことに美しい」とか書かれていたら、そりゃ絵はそうやろけどこれ相当ヤバい話やで? みたいになりますわな、こちとら21世紀人なんで…。

現在都内の大学で西洋美術史を教えているのだけど、こういう話を紹介するのは難しい。難しく感じているのはこちらだけかもしれないけど、とりあえずいちいち「いまの感覚でいったらナシですけどね」的な挿入句を挟むことでなんとか折り合いをつけている状況だ。西洋美術史はこうした男性中心の文化のなかで育まれてきたものなので、ある程度は飲み込んで鑑賞してもらわないと何も説明できないのだけど、でもやっぱちょっと居心地は悪いよね。

こうした居心地の悪さは、なにも最近になって始まったわけではない。20世紀半ば以降の美術作家たちは、 美術史に潜むこうした男性中心主義を告発し、それに否をとなえてきた。

エレノア・アンティン《パリスの審判》とルーベンス

たとえばエレノア・アンティンという作家は、2007年に「ヘレネーの旅 Helen’s Odyssey」と題されたシリーズを制作している。ここでいうヘレネーとは、もちろん絶世の美女と謳われたトロイアのヘレネーのことだ。そのシリーズの中の一枚、《パリスの審判》は、同主題のルーベンス作品をベースにしている。

エレノア・アンティン《パリスの審判(ルーベンスに基づく)》2007年
ピーテル・パウル・ルーベンス《パリスの審判》1638年ごろ

「パリスの審判」はトロイアの王子パリスが、三人の女神のうちだれがもっとも美しいか決める場面。パリスはもっとも美しい女神に黄金のリンゴを渡さねばならないのだけど、愛の女神アフロディーテがパリスに「選んでくれたら世界一の美女ヘレネーをあげるネ」と持ちかけ、この勝負を制することとなる。

ヘレネーにしてみれば己のあずかり知らぬところで自らの処遇が決定されてしまって迷惑千万だし、だいたいもっとも美しい女神とやらを選べるパリスも何様なんだ? という感が否めない。こういう筋書き、ちょっと男性にとって都合が良すぎやしませんか、とアンティンの作品は告発する。

画面右側に集合した三人の女神は、アテナ→男勝りな女、アフロディーテ→セクシーな女、ヘラ→家庭的な女、とそれぞれ非常に類型化された女性像に置き換えられ、属性のみと化したイメージとしての女性を皮肉っているようだ。また、品定めするパリスとその背後にいるヘルメスは、吟味する視線を女神たちに注いでいるけれども、この勝負でいちばんその身が左右されるはずのヘレネーは画面の左端で置いてきぼり。アンティン作品のほうがルーベンス作品よりちょっと横に細長いんだけど、こういうふうに画面端にヘレネーが置かれると、ルーベンスがわざとヘレネーをカットしたみたいに見えるので面白い。

アンティンがおこなったような、男性中心主義のただ中にある古典絵画をいわばジャックして、その枠組みや制度もろとも批判的に表現するというやり方は、それ自体きわめて美術史的な方法といってよい。1863年にエドゥアール・マネがティツィアーノを引用しながら《オランピア》を描いたときにも、画家は古典絵画をうまく使ってその虚構性を暴いた。暴いているものは違えど、両者のやり方は地続きである。

隠し切れないミソジニーが悪臭を放つのも西洋美術史なら、そういった枠組みごと表現でもって批判する精神もまた西洋美術史を構成する一要素なのだ。

シンディ・シャーマン《無題 #216》とフーケ

また、フェミニスト美術家がこのような表現をおこなった例として、シンディ・シャーマンは外せない。彼女の「歴史肖像画」シリーズは、西洋美術史上の聖母像や肖像が、いかに見せかけ・虚構で成り立っているかを浮き彫りにするものだ。

たとえば、聖母子像を自ら演じる写真作品《無題 #216》。これは忠実な再現ではないものの、ジャン・フーケによる聖母子像を彷彿とさせる。

シンディ・シャーマン《無題 #216》1989年
ジャン・フーケ《ムランの聖母子》1452-58年ごろ

露骨に作り物であることが強調されたシャーマン作品の聖母の乳房を見たあとにフーケ作品を見ると、シャーマン作品よりさらにありえない場所に乳房があって笑ってしまう。これも古典美術の虚構性というか、ルネサンス以降の絵画作品がどれだけ遠近法を極めて奥行きのある空間を描き、彩色を極めて肌の質感を追求しても、それは現実ではなくて単なる見せかけだし、多くの場合男性から見た理想をあらわしているに過ぎないよ、という事実を暴いているのだ。

とくにこのフーケの《ムランの聖母子》は二連祭壇画で、もう片側のパネルには聖母子に視線を投げかける二人の男性が描かれている。聖母子に祈りをささげる寄進者とその守護聖人の図だけれど、やっぱり何か一方向的なまなざしを感じるよね。

ジャン・フーケ《ムランの二連祭壇画》1452-58年ごろ

ケイト・マクドウェル《ダフネ》とベルニーニ

より最近の作家では、ちょっとどこまでフェミニズム的な意図が含まれているのかは分からないけれど、ケイト・マクドウェルという作家が面白い作品を制作している。《ダフネ》と題されたその作品が、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの《アポロンとダフネ》に着想を得ていることは確かだ。

ケイト・マクドウェル《ダフネ》2007年

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ《アポロンとダフネ》1622-25年

エロスの采配でアポロンに一目ぼれされたニンフのダフネは、しつこく追いかけてくるアポロンの愛を拒絶して逃げまくる。ついに捕まりそうになったところで、ダフネは父である河神に祈り、月桂樹に変身。その変身のいちばんドラマティックな場面を切り取ったのがベルニーニ作品だ。

しかし、マクドウェル作品においては、ベルニーニ作品よりもダフネの悲痛な表情が強調されているし(ベルニーニ作品は2.5メートルくらいの高さがあるので、近づくとダフネの表情はあまり見えない)、だいたいこんなことになったのはエロスにちょっかい出したアポロンのせいなので、ダフネからしたら、なんでお前のいたずらのせいで自分が木にならんとあかんの? という感じじゃないだろか。アポロンは無傷だし、このあとダフネの月桂樹で楽器作っちゃうんだよ。そんな都合のいい話があるかいな。

マクドウェルはそんなダフネの声にならない悲鳴を、破壊された像としてあらわしているかのようだ。 まぁアーティスト・ステートメントを読むと、マクドウェルはどちらかというと「人間と自然の共存の中で起こる軋轢」といったテーマに関心が強いようなので、植物と化す人間の姿を捉えるほうに重きが置かれているかもしれない。とはいってもやはり、破壊された身体と苦痛にゆがむ表情、これはやはり神話の理不尽に対するダフネの絶望だと思うのよな。

西洋美術史のなかの男性中心主義、それもとくに主題物語等に関しては、こういった作品を適宜紹介して、西洋美術の枠組みのなかですでに批判がある点を示していくというのが、今のところ私なりの穏当な「折り合いの付け方」かなあ。

もちろん、ここで批判されているようなルーベンスやフーケやベルニーニの作品は、当時の社会のなかではなんの問題もなかったはず。そもそも、ルネサンスからバロックにかけての時代、作品にはたいてい注文主がいて、注文主の求めや社会的に認められていた価値観に基づいて作られた。でも時代が変われば社会も変わる。作品の美的価値と内容の倫理が必ずしも一致しなくなってしまい、それと同時に鑑賞自体は万人に開かれているという環境が、このような状況を招いたのだ。

とりあえず、「そこはまあ昔の美術だからね」「これは巨匠の作品だよ」よりも一歩踏み込んだところまで言えるようになりたいものですね。

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