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《ミロのヴィーナス》の美は「不完全の美」?

先日ツイッターで、中村るい著『ギリシャ美術史入門』を良書として紹介した。

こんな感じで。

実際平易なことばで読みやすく、良書にはちがいないのだが、正直に言うとこの時点ではまだ最後まで読みきっていなかった。このたびちゃんと読み終えて特に印象に残ったのが、最後に紹介されるヘレニズム期の彫刻《ミロのヴィーナス》が、「美術史的には傑作ではない」とバッサリ切られていたことだ。以下、本文からの引用。

そして、これがとても大事なことですが、美術史学の観点からは、決して傑作とはいえないことです。クオリティーの点では、さきの《サモトラケのニケ》のほうがずっと上でしょう。ではなぜ、《ミロのヴィーナス》が至宝として扱われるのか。美術史の立場からいえば、頭部が残っているからです。クラシック期からヘレニズム期の、等身大かそれ以上のヴィーナス像の原作で、頭部の残っているものは、この像しかありません。これ以外で頭部が残っているのは、すべてコピー像です。つまり、頭部が残った唯一のオリジナルとして、稀少価値から評価されているのです。

ちょうど担当している講義で古代ギリシャ美術をやっていたので、そこでは《ミロのヴィーナス》が傑作かどうかには諸説あるとして中村氏の意見も紹介した。すると学生からのコメントで、高校の教科書で「《ミロのヴィーナス》の美はそれが不完全であるところにある」と読んだとの報告が複数あった(※注記1)。まじか。それは知らんかった。

中村氏の解説によれば、《ミロのヴィーナス》の特異性は、それが比較的完全に近いというところにある。なので、この逆転はちょっと面白い。しかし、ここでは別に《ミロのヴィーナス》が傑作か否かを議論したいわけではなくて、その美術史的価値と審美的価値に齟齬が生じているというところに注目したい(※注記2)。この「不完全だから美しい」という価値観、いったいどこから出てきたんだ?

また別の機会に東京芸大の研究室の学生さんたちと一緒に食事をした際、《ベルヴェデーレのアポロン》について面白い話を聞いた。この作品は両腕が欠落した状態で発掘されたため、ミケランジェロの弟子ジョヴァン・アンジェロ・モントールソリが腕を補完したが、1924年にオリジナル部分のみを残すため補完部分は除去された。しかしその後、剥き出しの加工跡を露出しているのはよろしくないということになり、モントールソリ作の腕が付け直されたのだそうだ。

その場の話題では「昔の人の証言や批評を読むとき、同じ作品でも同じ状態で観ているとは限らない」という話になったが(それはそれで面白い話)、この「後世の加工を除去する」というところに、「不完全の美」の芽生えをみることができるように思う。それはおそらく、オリジナル信仰と強い関係がある。

《ベルヴェデーレのアポロン》について調べていると、同じくヴァチカン所蔵の古代彫刻《ベルヴェデーレのトルソ》についても興味深いエピソードを見つけた。なんでも、教皇ユリウス二世がミケランジェロに《ベルヴェデーレのトルソ》の手足や顔を補うよう依頼したところ、ミケランジェロは「この彫刻はこのままで完全だ」と言って断ったというのである。

この逸話、チラッと Google Books で検索した限りではあるが、あまり学術書には出てこず、ガイドブックなどで「伝説によると〜」「伝統では〜」といった枕詞とともに登場する。初出がまだ確かめられていないのだが、たしかヴァザーリのミケ伝にはなかった話だと思う。

逸話が本当の話か後世の作り話かはとりあえず置いといても、ここでミケランジェロがそのセリフを言ったことになっているのは示唆的で、というのも、ミケランジェロはご存知のように「ノンフィニート(未完成)」の彫刻家であるからだ。

たしかに、同時代の美術批評家ベネデット・ヴァルキはすでに「ミケランジェロのノンフィニートはそこらへんの完成作よりも完全だ」といった趣旨の発言をしているので、未完成にも良さがあるという考えは出てきているものの、しかし未完成と不完全には差をつけなければいけないような気もする…。すでに《ベルヴェデーレのアポロン》の例にも見たように、ルネサンス期のイタリア、一部が欠けた古代彫刻は基本的に「創造的修復」を施すのが常だったし(見てきたように語るマン)。

《ミロのヴィーナス》の「不完全の美」、ミケランジェロの逸話、《ベルヴェデーレのアポロン》の腕の除去、どれも同類の思想が根底にある話であるように思う。まあでもこれを結論とするのは早計で、まずはミケランジェロの逸話の初出を特定せねば…。


※注記1

この教科書の文章について、出典元をご教示いただいた。

※注記2

ここの文はもともと「考古学的価値と審美的価値」と記していたが、《ミロのヴィーナス》は発掘調査で出土したものではなく、考古学では出土した場所(遺跡・遺構・地層)が明確でないと一次史料的価値はないとのご指摘をいただき、「美術史的価値」と訂正した。

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