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ベラスケスと17世紀スペインの美術批評

ベラスケス、154冊もの蔵書を有していたとか。たぶん17世紀の人はこんなふうに寝っ転がって本は読まない。長くやってると肩を痛める姿勢なのでよいこはマネしちゃダメだぞ。

土曜日に現在国立西洋美術館で開催中のプラド美術館展に関連するシンポジウムに行った。スペイン黄金世紀の美術を再考するという趣旨だったが、とくに自分の関心と合致したのは、17世紀スペインの美術批評を論じた発表。あとで振り返りたくなるかもしれないのでまとめておく。

17世紀スペインで刊行された重要な美術書は二つある。ビセンテ・カルドゥーチョの『絵画問答』(1633年)と、フランシスコ・パチェーコの『絵画芸術、その古代性と偉大』(1649年)だ。この二つ、とくにイタリアとの関係から検討すると面白い。

カルドゥーチョ:自然主義批判とイタリアへの郷愁

ビセンテ・カルドゥーチョ(1585-1638)は実はフィレンツェ生まれのイタリア人。なのでヴィンチェンツォ・カルドゥッチというイタリア語の名前で呼ばれることもある。とはいえ、まだ少年の頃にマドリードに移動したため、基本的にはスペインの人という印象。カルドゥーチョの『絵画問答』で展開される主な主張としては自然主義への懐疑がよく知られ、とくにカラヴァッジョ批判の文脈でよく取り上げられるようだ。

ちなみに発表では、カラヴァッジョ批判とされる箇所は「見たままを描いているだけなのにこんなに人気があってすごい」的なニュアンスにも読めるので、再検討の余地があるという話だったが、それでもカラヴァッジョをアンチキリスト呼ばわり(!)してるし、「こんな現実をコピーしただけの作品に感動してどうすんの」みたいな論調はたしかにあるので、やっぱ批判なんじゃないかな~。

その自然主義への懐疑はおそらく彼の出自がイタリアというところにあって、16世紀終盤のマニエリスム最盛期なフィレンツェの芸術観を受け継いでいるのだろうとのこと。たしかにマニエリスム界隈では、自然をそのまま描くのではなく、自然をベースにしつつもそれをより美しく描くことが絵画の使命である、との考え方があった。だからあんなに自然に見えないポーズの人体や胴体や四肢が引き伸ばされた人体が描かれるんだね。

しかし前述のように彼は幼いころにイタリアを離れているので、そこまでしっかり直接の影響があったとは思われない。ただイタリア出身のプライドがそうさせるのか、イタリアにある作品を観てきたように語っているというところはちょっと笑える。大部分は観たことないはずなのに。

フィレンツェ仕込み(?)の素描主義から、静物画や肖像画は低く見る傾向があり、その流れでベラスケスも批判されているという話もあるが、少なくとも名指しでは批判されていないということだった。しかしこれも原文を読んでみんと何ともやね。

パチェーコ:宗教画論とイタリア・コンプレックス

一方、フランシスコ・パチェーコ(1564-1644)はベラスケスの師匠にして義父(ベラスケスがパチェーコの娘フアナと結婚したため)。ベラスケスの最初の伝記を書いた人でもあり、基本ベラスケス万歳。婿殿自慢かな?w ちなみにパチェーコの工房はスルバランやアロンソ・カーノも輩出しているようなのですごい。セビーリャのヴェロッキオかよ(分かりにくい)(フィレンツェ中心主義の悪い癖)。

『絵画芸術、その古代性と偉大』はもともと技法書としての性格が強く、図版もなければ献辞もないが、もともとどういう体裁にするつもりだったのかは議論の余地がある。じつはパチェーコがこれをせっせと書いているときにカルドゥーチョが前述の『絵画問答』を堂々リリースしたので、パチェーコは先を越されてしまった。それで結局、パチェーコの『絵画芸術~』は彼の死後5年経ってからの出版となったのだ。

理論的一貫性はカルドゥーチョのほうがしっかり通っていて、パチェーコはボデゴン(厨房画)をランクの低い絵画ジャンルと認めておきながら、ベラスケスが描いたものは別、とけっこう強引な擁護をしている。自らの弟子ながら、モデルにすべき現代の三大画家の一人にベラスケスを数えているので、相当な入れ込みようだ(ほかの二人はルーベンスとチンチナートという画家)。

パチェーコの美術批評は、カルドゥーチョのように観てない絵を観てきたように語ることはせず、スペイン国内で実際に彼が観た作品を丁寧に批評する傾向にある。しかし宗教画については少し様子がちがっていて、ミケランジェロを批判しているというから面白い。おそらく多少のイタリア・コンプレックスがあったのだろうということが、この辺りからにじみ出る。

たとえばパチェーコはミケランジェロ《最後の審判》を版画で観る機会があっただろうが、版画を通してみると技法や彩色についてコメントすることはできない。しかしそれが宗教画であれば、デコールム(適切さ)という観点から批評ができるので、ここぞとばかりにミケ批判に走っているというのである。

もちろん、敬虔なキリスト者で、1618年には悪名高き異端審問にも関わっているというパチェーコのこと、ほんとうにミケ作品が許せなかった可能性もある。しかし、イタリアの美術論に依拠しつつも、それを超えたいという思いが思わず溢れてしまったのだとしたら、『絵画芸術~』はなかなかエモい美術書なんじゃないだろか。

なんかあまりベラスケスの話しなかったな。まあいいか。

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